競争社会に情緒教育は育ちにくい。

公開日:2022年9月21日

スポンサードリンク

今の社会は競争社会です。
勝ち負けじゃないですが、上から下まで順位がつけられます。

今回、競争社会と情緒教育について書いていきたいと思います。
非常に大事なところですので、お付き合いくださると有難いです。

競争社会に情緒教育は育ちにくい

「数学を志す人に 岡潔」の本についてコメントの書き込みがありました。
我が家では、中2から高校数学にハマり、今でも数学が大好きな子がいます。
ただ、岡先生のような天才的な域ではなく、そのような子にどんな将来があるのか?
興味本位で手に取りました。

読んだことのある方ならもうお分かりだと思いますが、実際は期待していたものとは全く違っていて、数学と情緒についてが主な内容でした。先生の趣味なのでしょう、和歌も多かった…(汗)。
とにかく情緒教育を前面に押し出していました。
数学とは情緒だと言い切るぐらいの勢いで。(言い切ってましたね。)

世界的に有名な数学の研究者でしたので、私のような凡人が読んでいい本なのか迷いましたが、非常に将来の日本の教育を危惧されていて、この本の出版が2015年、岡先生の話は私達親世代が生まれる前のことで、切り口が新鮮だったこともあり、そのまま最後まで読み進めました。

私が気になったのは、これ。
・人の心を知る
・自分で熱中する
・情緒教育が大事、個人の幸福は動物の満足
・競争は動物らしい頭でしか発育できない。
・人間性の芽を伸ばそうとするとたっぷり時間がかかる
・教師が競争心を持つなんてもってのほか

で、一番考えてほしい所はここ。
この本を紹介してくださった方から、
「公文を更新された管理人さんに捧げます。どうでしょう?未来人の私たちは答え合わせができますね(笑)」と。
何とも心躍るようなコメントを書かれました。
ご紹介させてください。

「60年後の日本」(1965年執筆のもの。以下引用)
テレビでこんなことを聞いた。
「内藤文部次官は、将来大学の入学試験を一本にして、試験問題は能力開発研究所から出す方針で、いま反対する大学を説得中である」と。
私は耳を疑った。そんなテストは、考えもしないで答えてしまう衝動的判断の能力を調べるだけで、本当の智力とはなんのかかわりもない。この案が通れば、お母さんたちは目の色を変えて満二、三歳のこどもに衝動的判断力を増す教育を始めるだろう。そうするとどういう恐ろしい結果になるか、私には想像もつかない。たぶん子供たちは、小さいうちに頭が固まってしまい、カボチャが小さいままひねてしまったようになるに違いない。

ドキっとする内容だと思いませんか?
こんなこと(今でいうと共通テストでしょうか)をやってしまったら、情緒教育は崩壊すると理解しました。

大袈裟かもしれませんが、我が子が賢くなるものは何でもしてあげたい。
親心というのはそういうものです。
その結果、早期教育というものまで繁盛し、小さい頃から、いや、生まれた時から?賢くなるための教育(競争)がスタートします。
公文はその典型例でしょうか。
しまじろうもそうだ。

うちは、前にコメント欄で勉強系の保育園は選択肢から外した話をしたと思います。
小さい頃なんて身体を動かしてなんぼだと思っていたので、なるべく体育会系の所を選びましたが、そこでも当然ですが競争が存在していました。

子ども達が上から高1・中2・小6になりましたが、小さい時からどこに行ってもこの競争からは逃れられないなあと感じます。

何でも競争・競争。
子供の勝ちは親の勝ち。闘争心剥き出しの絶対に負けられない戦いがある!

個人的には一番過酷なのが、中学受験な気がしています。
まあ、この辺はまた別途書くとして。

うちの高校は、各中学でのトップが集まります。
周りは良く出来るので、入学して半年経ちますが、凹むと何回か口にしています。
メンタル強くないとやっていけないと。
トップの立ち位置が染みついているので、仕方がないか。
高校でも出来る方ですが、それでもこの状態です。

呑気にやってる場合ではない。
効率重視。当たり前です。
無駄なことはやってる場合ではなく、先手必勝。
メンタルは強くないとやっていけない。
負けず嫌いが競争社会には一番フィットする。

これだと露骨なので、こんな感じがいいでしょうか?
「他人と比較するのではなく、自分が成長できているかどうかで考える。」
どちらかというと、うちはこっちが好きですが、それでもやっぱり周りとの比較は避けられないんです。

心が荒んでいく子もいるでしょう。
まあ、だから学校も道徳という教科があるのかもしれませんが。

うちは何度も書いています通り、初心に戻ると、
まずは健康。次に思いやり、最後に学力です。
かなり前に作った表がありますのでお見せします。

よくT大卒夫が、「自分に厳しく他人に優しくなれ」と言ってます。
ただ単に、「〇〇(←私)には優しくし過ぎて失敗した」ことを言いたいだけかもしれませんが、一理あるように思います。

無敵な子ほど、上の表でいう2番が大事になってくるかもしれません。
そうでない子は、スポットライトが当たらない経験も、辛い思いも、悔しい思いも、羨ましいとかそんな思いもしているでしょうから。
人と上手くやっていくために、思いやりはとっても大事です。
優しい子が損するような教育は間違ってますし、優しい子に面倒なことを押し付けるのも違います。
情緒教育がしっかりしていれば、こういったことは起きないはずです。

1番になれないから、自分が成果を総なめ(横取り)にしたいからと、人を陥れたり蹴り落とすのは止めましょう。
裏で意地悪するのは止めましょう。
その手段でいつまでも通用すると思わない方がいいです!!!!
出来る子を陥れて自分を良く見せるのではなく、出来る子がいたら認める。
認めることが出来たら、少しでも近づけるよう”自分なりに”頑張ることが大事かと。

こんな特集も組まれるように。

1億総五里霧中。
そうならないよう、親たちは子ども達を普通に暮らしていけるように、必死になって教育しているのですが、愛をケチらないかあ。。。
低所得(競争でいうと下に位置づけされてしまう)でも心が満たされていれば幸せという話でしたが、ここは難しいところです。
ちょっと綺麗ごとかもしれません。

心が動けば、学びは深まる。

ズラズラと競争社会について書いていきましたが、いきつくところはここかなと。
心が動けば、学びは深まる。
とある方のコメントのパクリですみません。
いい言葉ですね。

勉強、他のこともそうですが、やってて楽しいって思う気持ちがないと学びは深まらない。
逆に楽しいと感じれば、自分であれこれやるようになる。
子ども達を育てていて、大事にしてほしいと強く思っていることです。
楽しい面白いがあれば続けることが出来ます。
そうでない場合、いくら結果を残していたとしても、続けることは難しいのかもしれません。

ここまでの域に達すると、もしかしたら競争なんてどうでもよくなるのかしら。


写真は、子供の科学の付録です。
夏休みの宿題を一番溜め込んでいた末っ子が宿題終わったら子供の科学の付録を作りたい!と。
夏休み最終日の夜にやっと宿題が終わり、作り終わったら、私のところに持ってきて、
「お母さんにとって唯一の友達、ガイコツくん。仲良くして。」ってさ。
宿題を溜め込んでた末っ子に怒りまくった腹いせに作ったようです。
上の2人を育てているので、こんなのはまだまだ可愛いもんですね。
仕方がないので、リビングに飾ってあります。

総論

競争ばかり意識していると、岡先生が言ってた通り、動物的な部分は成長するけど、人間的(情緒)な部分での成長は鈍る気はします。
周りを見ていてもそう。

何でも勝ってたら幸せかといったらそうでもない。
競争を避けることは不可能だからこそ、情緒教育はより大事にすべきかと思います。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2022


スポンサードリンク







コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。
・コメントは承認制に変更しました。
・諸事情により、承認作業は夜23時までとなります。
・トラブル回避のため、他サイトのURLの書き込みはご遠慮くださいますようお願いいたします。
・ここに書いていいのか迷う場合は、「歓談のひととき」もありますのでご利用ください。
ご理解のほどよろしくお願いいたします。

競争社会に情緒教育は育ちにくい。」への5件のフィードバック

  1. 亀田ゴロー(中2、小3)

    管理人さん、こんばんは。

    岡潔さんは
    「今の教育は
    個人の幸福が
    目標になっている。

    人生の目的が、これだから、
    さあ、それをやれといえば、
    道義という肝心なものを
    教えないで
    手を抜いているのだから、
    まことに簡単に出来る」と
    言っています。

    管理人さん、みなさんに
    岡潔さんを紹介してくださり、
    ありがとうございました。

    話は変わりますが

    私は、歓談部屋で話題になった
    「音読」の
    驚くべき効果について
    書きます。

    音読をすると、
    脳の前頭前野の活動が
    活性化します。

    音読を毎日、続けると、

    頭の回転が良くなる。
    記憶力が高まる。
    不安やストレスが緩和される。

    など、様々な効果があります。

    現在、
    スマホ等のやりすぎによる
    思考力の低下が
    問題になっています。

    こういった症状にも
    絶大な効果があるのが
    音読なのです。

    音読で生じる処理とは、

    「文字を読み取る」
    「読んだ文字の意味を理解する」
    「理解した文章を声に出す」
    「声に出した文章を音として聞く」

    など、多岐に渡ります。

    これだけの処理を
    同時に行うのですから、
    脳が活性化されない訳が
    ありません。

    良いことだらけの音読ですね。

    返信
  2. 本スレでは匿名

    こんにちは。管理人さん、更新お疲れ様でした!

    岡先生が言われている「情緒」というのは、相手に思いを馳せられる「想像力」や「共感力」のことでは?と私は捉えました。ジョンレノンの「イマジン」を思い浮かべました。人間を人間たらしめているのは、そこではないかと仰っていますね。

    情緒がなければ数学は深められないと仰っているのが印象的です。私はそこまで数学を深めたことがないので、どうしてなのか?まではまだ理解に至っていませんが。

    共通一次導入にも反対されていたのは、これによって計算処理能力での競争や解法パターン暗記に偏る勉強法が蔓延ってしまうことを懸念したからなのでしょうね。まさに予想通りの世界になっていますね。共通テストだけでなく国立2次試験でも、処理能力ゲーだったり、ひたすらパターン暗記の方が受かりやすくなっています。

    もしかすると、岡先生は、数学を深めれば本当は情緒が育つはずだと言いたいのかもしれませんね。だけど、間違った方法で競争を煽るような数学ならば、反対の結果になるぞと言いたかったのかもしれません。

    返信
  3. 亀田ゴロー

    本スレでは匿名さま、こんばんは。

    もしかしたら、岡先生の、
    この言葉がヒントでしょうか?

    (引用 開始)

    私は、3日かからねば、
    つまり
    2晩寝なければ解けないという問題から
    「問題」と呼ぶことにしている。

    (引用 終了)

    返信
  4. Z

    管理人さま、こんばんは。

    岡潔さんが語る「情緒」について某学校の数学科の先生が解説されています。

    「論理と情緒-論理を超えた先にあるものを見据えて」 数学科教諭 | 青山学院高等部
    https://www.agh.aoyama.ed.jp/education/religion/worship/2018/report_2018_02.html

    下記は引用です。
    「情緒」とは簡単に言えば「感情」とか「感受性」のことです。例えば、道端に咲いている花を見て「ああきれいだな」と思う心と言ってもいいでしょうか。数学を研究するときにはそのような気持ちを持つことが大切であるというのです。

    返信
  5. 匿名ですが数学の美しい世界を垣間見たいものです

    岡潔さんの本は読んでいませんが、岡潔さんの多変数複素関数論という一分野を切り拓いた過程はYouTubeでみてきました
    そして青山学院の数学科の方の記事を読んで腑に落ちた事を書いてみたいと思います

    先ずは
    リベラルアーツの語源から
    ここでいう「自由」とは何なのか。もともとの語源は、新約聖書のヨハネ福音書の第8章31-32節にあるイエスの言葉、「真理はあなたを自由にする」から来ている。「真理」とは「真の理(=ことわり)」のことである。時間を経ても、場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理(=ころわり)が「真理」であり、それを知ることによって人々は、その時その場所だけで支配的な物事を見る枠組みから自由になれる、といっているのだ。目の前の世界において常識として通用して、誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり「問う」「疑う」ための技術が、リベラルアーツの真髄だということになる。そして、あらゆる知的生産は「問う」「疑う」ことから始まるのだ。

    禅では悟りの境地を現す言葉として「空」(くう)と「虚」(きょ)の状態を現しているのです

    岡潔さんの数学の研究をするのに世捨て人のような生活をしていたようですね
    数学は普通数人の人達が集まって各々が好き勝手に思考をむ巡らせつつ
    何か閃いたら書いてみんなでそれを眺めて議論し合ったり、また各々が考えたりしながら研究をしていくスタイルが普通です
    岡潔さんの研究の進め方が他の数学者とは違っていたという事が分かるとかと思います

    恐らく彼は相当ストイックな研究活動をされていたのだと思います
    数式と向き合って思考を巡らせる内に見えぬ神との対話の境地にまで恐らく到達されたのかなと思います
    禅で言えば悟りの境地、キリストで言えば「自由」を獲得されたのかと思います
    その境地に至ったからこそ、彼が研究していた数学と情緒を結びつけて文章をつづっていかれていったのと
    数学を競争という競い合うモノに使う事への誤った目的と手段に対して反対されたのではないのかなと思い至りました
    数学の世界を突き詰めていくと、「自由」の境地の獲得ができ
    数学の自由でナニモノにも囚われない自由
    そして自然に存在するシンプルさ、そして美しさ
    それが数学であるから、情緒面から数学の世界を愛て欲しいというメッセージなのかなと考えました

    返信