学校に行けなくなって、親以外で子供のテリトリーに入り込んで説得できたのは祖父母だけだった。

公開日:2023年12月31日

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前回、不登校について専門家(学校の先生・教育相談センター・心療内科の先生)に言われたことを列挙しました。
という内容を更新しました。
書いてある通りで、相談することは出来ますが、直接娘に対して何かすることまでは至りません。
教育相談センターでも来所相談は出来ますが、これも本人が納得していないと予約は出来ないです。

無理矢理にでも、娘のテリトリーに入り込んで登校を説得できないだろうか?
親以外に思いついたのは、私の両親しかいないと思いました。
うちの子達は、うちの両親のことは好きなので、聞いてくれるのでは?と思ったんです。

父母に登校の説得をお願いしたら、すっ飛んできてくれた(涙)。


図でいう③の時期が一番キツイかったです。
学校に行けなくなった初期の頃の②の時期は、まだ家族内で解決しようとルール作りをしたりして、ここで何とか登校させようと頑張れました。
でも、再度行けなくなり、ルールも破りまくりの③の時期は、家族内だけで何とか出来るとは思えませんでした。

遠く離れた親に、学校に行けなくなったとはなかなか言いにくいです。
最初は黙ってましたが、私も少しずつ母に言うようになりました。
母は最初、「学校に行けないなんてお父さんに言えない。不登校が増えてるって聞いてるけど、まさか…。〇〇が学校に行かないなんて信じられない。」って言ってましたね。
少しサイトにも書いてあると思いますが、特に父は子供の頃、経済面で非常に苦労していました。
だから、学校に行かないなんて信じられない。そんな我儘なんて許さないって感覚です。
「このことを電話で直接話して!」とお願いして、母が娘に涙ながら話してくれたこともありました。
響いたようで、「おばあちゃんの言ってることは分かるんだけど、でも時代が違うんだよ。」っと。
その時、電話に出て話をしたことがまずは大きな成果だと思いました。

義両親は、このこと全く知らないです。
言ったら、「〇〇さん(私)の育て方のせい」と責められて終わりですもん。
ちなみに、娘の親批判は、私は勿論、しっかりT大卒夫への批判も入ってました。
今後も義両親には言うつもりもないです。T大卒夫も言うつもりはなさそう。
高校受験もこのまま第一志望に合格出来たら、何かあったとか全く分からないでしょうし。

長期休みでもない時期に、娘から呼び出しを食らう。
ただ事ではありません。
結局、父にも伝え来てもらうことになりました。

色々と言われましたよ。
〇幸せな家族だったと思ってたけど違ったのか?
〇これは親の責任もあるぞ
〇勉強のさせ過ぎだったんじゃないのか?
→ここについては、高校受験のところで書きたいと思います。
〇こんなに恵まれた環境なのに、何が不満なのか?

平日の真昼間に、遠くにいる祖父母が来る。
張本人は何事かと驚いていましたが、直ぐに自分のせいだと分かったようです。
※来ることは内緒にしていました。

1回目の時は、親や兄弟への批判から学校に行かないと結論づけ、話をしているだけで疲れるって嘆いていました。
学校に行かないのは、家族のせいなのか?

学校に行かない理由(先生やクラスメイト)も説明し分かってはくれましたが。

「おじいちゃんが、合わない人とは一緒にいなくていい。」
「おばあちゃんが、先生・クラスメイトは関係ない。自分のために学校に行きなさい。」
祖父母は自分の味方と思っているので、こういった言葉は響いていたようです。

他にもこんなことも言ってくれました。
「転校したらいい。」
「クラスを変えてもらったらいい。」
「おじいちゃんが校長先生に話をしてくる。」
娘は「おじいちゃん、本気でやりそう…」って言ってましたが、
「なんで私が転校したりクラスを変えないといけないの?それをやるのは私じゃなくて〇〇(女王様)だ。」と。

ここで、父から、
「〇〇(=私)が学校に強く出た方がいいぞ」と言われました。
これは私も目が覚めた瞬間でもあります。
娘の中で、クラスをどうこうする件はもう諦めている。学校も認めたけどどうこうすることは出来ないことも認めた。
でも、高校受験に対しては娘の今までの努力を無駄にしたくないっておもったんですよね。
ここから、高校受験に対して私が色々と出ました。
この件はまた別途更新します。

ちなみに、最近、学校に通えない子を集めたクラスを各中学に設置するとかいう流れですが、だったら、女王様のような子用のクラスもあっていいんじゃないでしょうか?
と思ってしまった…。
うちの子だけじゃないですからね。辛い思いをさせられてるのは。

父と母が、
「今からでいいから、学校に行け。欠席より遅刻の方がマシだ。」と説得する。
2回目の時はさっと下に降りて、さっさと制服着て準備してくれ、学校まで私が送って行きました。
この後、もう学校に休むことなく2学期は最後まで登校できました。

不登校・行き渋りにおいて、一番辛い時期は図でいう③の時期かと思います。
約束破りまくり、親のせい、生きる気力がない、何もしたくない。
こんな無気力の我が子を何とか救いたい。
こんな時、親以外の大人がいるといいです。
うちは、その役割が私の両親でした。

祖父母の娘に対する愛情が娘本人にもしっかり伝わってたのが分かりました。
両親には感謝しかありません。
本当にありがとうございます。




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学校に行けなくなって、親以外で子供のテリトリーに入り込んで説得できたのは祖父母だけだった。」への2件のフィードバック

  1. 打たれる管理人 投稿作成者

    お疲れ様です。

    2023年もお世話になりました。
    2学期、色々とあり過ぎて、4ヶ月しか経ってませんが、何だか1年以上経ってる気がするぐらい少し前のことが昔のように感じます。
    今日は、ケーキ屋さんでそれぞれケーキを自分で選び、年越しケーキをしました。
    (そばも食しました。)

    こんな年末を過ごせることに感謝しかありません。
    と同時に暗いトンネルにいる親子が減ることを祈るばかりです。
    我が家は安定してきてますが、まだまだ油断はできません。

    来年はいよいよ受験です。
    いい年になりますように。

    頑張れ、受験生!!

    いつもありがとうございます。
    来年も宜しくお願いします。

    返信
  2. 打たれる管理人 投稿作成者

    2024年、今年も宜しくお願いします。

    0時過ぎて直ぐに娘がリビングに来ました。
    受験がんばろうね!って言葉を交わしました。
    笑顔でおやすみって。
    嬉しいです。いい年になりそうです。

    男どもですが、、、
    リア充は友達ら?と年越し。朝帰り予定…。
    ↑そろそろ勉強100%へとシフトしていくとは言ってます…。
    末っ子は友達ら?とLINE電話で年越し。
    2人とも男女仲がいいのはいいことです。

    それでは、おやすみなさい。

    返信